世界ナゼそこに日本人!ドイツ人捕虜を救った松江豊寿(まつえとよひさ)のプロフィールや経歴について

皆さんこんにちは。

6/18の「世界ナゼそこに?日本人!」で

ドイツ人捕虜を救った日本人が紹介される

という事で待ちきれず調べてみました。

ドイツ人捕虜が日本にいたという事に

驚きですが、どのようにして救ったのか

ご紹介します。

ドイツ人捕虜を救った松江豊寿

第二次世界大戦では日本とナチスドイツは

同盟国だったので、戦争のイメージが薄い

ですが、第一次世界大戦では敵国でした。

(学校で習ったような・・?)

当時ドイツ軍は中国に進出していましたが、

地の利がある日本は圧倒的兵力で3ヶ月

程度で戦争は終結。

しかし、4,500人にもなる大量の捕虜が

発生しました。

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彼らはまともな受け入れ先もなく、

日本全国の公民館や寺院などで厳しい監視

のもと、虫だらけの布団に寝かされたり

理不尽な理由から鉄拳でなぐられたり

酷い生活をしていました。

(戦争では日本人もたくさん亡くなって

いますので・・・)

そんな状況下で1917年に設立されたのが

「板東俘虜収容所」でした。

その所長が松江豊寿さんです。

当時既に44歳という若さで大佐となって

いた超エリートでした。しかし、

戊辰戦争に敗れた会津藩士という事もあってか

口癖は「武士の情けがあれば・・」だった

そうで、とても慈悲深い方だったようです。

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日本全国に散らばっていたドイツ人捕虜が

板東俘虜収容所に到着した際に、彼らが再開を

祝う最中、他の下士官達は銃を向けて整列

させたり、相変わらずの酷い仕打ちを

していましたが、松江さんはドイツ語で

下士官達の非礼を詫びました。

さらには「本日に限り、就寝時間を12時までに延長する。

久々の再開だろ。大いに旧交を温めたまえ。」

と言い放ったそうです・・素晴らしすぎますね!!

それだけではなく、松江さんはドイツ人捕虜から

とドイツの優れた技術をとりいれ、農業などに

活用、地元市民との交流も大切にししたそうです。

ドイツ人捕虜は監視も殆どなく、街の人から

「ドイツさん」と呼ばれて、活躍されました。

今でこそ外国人に対する偏見はないですが、

当時からすると凄い事ですね。

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松江豊寿のプロフィールと経歴

※画像はyoutubeより引用

【プロフィール】
本名:松江豊寿(まつえ とよひさ)
生年月日:1872年7月11日
年齢:83歳没
出身:福島県会津若松市
職業:陸軍軍人・政治家・若松市長
最終学歴:日本陸軍士官学校
最終階級:陸軍少尉

【経歴】
1894年:陸軍士官学校(5期)卒業
1897年:歩兵中尉
1902年:歩兵大尉
1904年:韓国駐剳軍副官
1907年:歩兵少佐
1908年:歩兵連隊大隊長
1911年:師団副官
1914年:歩兵中佐
1917年:板東俘虜収容所長
      歩兵大佐
1922年:陸軍少将
      若松市長就任
1925年:若松市長退任
1956年:東京都狛江市の自宅にて死去

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陸軍士官学校の5期生という事で

超エリートだったようですね。

東大クラス?またはそれ以上かも

しれません。

(皇室も入るような場所ですから)

卒業後もトントン拍子で出世して

最後は少将まで出世されていますね。

そして退役後は若松市長になられました。

捕虜にも優しい方なので、きっと市長

としても素晴らしい政治をなさっていたの

でしょうね!

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