世界ナゼそこに!ニジェールの谷垣雄三医師のwikiや家族について

ニジェールの医師「谷垣雄三」とは

みなさんこんにちは!

世界ナゼそこに日本人でニジェールという国で

一万人の人を救ったという日本人が紹介されるので

気になって調べてみました。

その方は谷垣雄三さんという方でした。

医者といえばエリート中のエリートですが、

いったいどのような経緯でニジェールの医者として

人々を救ってきたのでしょうか。

早速ご紹介します。

◆ニジェールについて◆

まず、ニジェールという国ですがアフリカにある

「ニジェール共和国」が正式名称です。

(正直わたしも名前くらいしか聞いた事は

ありません 笑)

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地図でいうとこんな感じ・・

う〜ん・・アフリカのど真ん中ですね。

人工は1600万人の国で1960年までは

フランス領でした。

独立後は何度もクーデターが起こったり

隣国と戦争したりと近年では世界的に危ない国の

一つとなっています。

というか外務省のページを調べると国土の9割が

レベル4の「即時退避すべきエリア」になっています。

◆谷垣雄三さんは何をした人?◆

そんな危険地帯のニジェールで30年以上に渡って

医療活動をされていたのが谷垣雄三さんです。

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国内情勢に左右され、病院が閉鎖されたりも

しましたが、自費で100床のベッドがある

病院を作ったり、苦難にも負けずに

ニジェールの人々を助けたすごい人です。

谷垣雄三のwiki・プロフィール

※写真はhttp://www.fesco.or.jpより引用

【プロフィール】
本名:谷垣雄三(たにがき ゆうぞう)
生年月日:1942年
年齢:75歳(享年)
出身:京都府京丹後市
職業:医師(外科医)
最終学歴:信州大学医学部

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国立大学の医学部ってさすがですね!

しかし、卒業後は学生運動のペナルティーやらで

医師免許の取得ができず、土方で肉体労働などを

されていたそうです。

その後、医師免許を取得して1970年に

小川赤十字病院というところで整形外科や麻酔医

として医者の道を進む事になります。

しかし・・そのわずか9年後の1979年には

「放置された地方外科医療を改善したい!」

という思いからニジェールにて医療活動を

開始されています。

しかし、首都意外の医療環境は劣悪で

地方外科医療については皆無に等しい状態でした。

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そこでニジェール政府に地方病院の建設を働きかけたり、

日本政府やJICAの支援を要請。そして私費8000万円

を投じて51歳のときに「テッサワ・パイロットセンター」

を開設されました。

テッサワ・パイロットセンターでは現地の平均年収が

一万円という事から手術代金は一律500円にするよう

縫合はミシン糸、点滴は食塩とブドウ糖、止血ガーゼ

の代わりに日本から援助されるタオルを使って

医療活動をされていたとか・・・

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その後、テッサワ・パイロットセンターはニジェール

政府に寄付し、さらに私財を投じて新たな病院を

作ったり、後継者を育てるため現地の医学生の

育成に尽力されました。

続いてご家族や一家に起こった悲劇について

お話致します。

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